放射線と放射線機器の歴史
■1895 - 1904年 / 明治28 - 37年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1895(明治28年) | レントゲン(独)X線を発見。X線透視X線写真を発明 | 下関条約・三国干渉 |
1896(明治29年) | ベクレルH(仏)ウランから出ているX線類似光線を発見
エドウィン(英)骨折をX線写真によって診断 ジョーンズら(米)頭蓋内の弾丸をX線写真に写す この年、日本では数グループがX線の実験をしている 山口鋭之助、水野敏之丞「れんとげん投影写真帖』丸善発行(5/15) |
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1897(明治30年) | 東京帝国大学医科大学解剖学教室にX線装置を設置(4月) | |
1898(明治31年) | キューリー夫妻(仏)ラジウムを発見 | 隈板内閣成立(最初の政党内閣) |
1899(明治32年) | この年、日本では数力所の有力病院にX線装置が設置された
スチンペック(スエーデン)皮膚癌のX線治療に成功 |
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1900(明治33年) | ビラード(仏)ガンマ線発見
世界最初の放射線の犠牲者 |
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1901(明治34年) | 第一から第五まであった高等学校医学部をそれぞれ千葉、仙台、岡山、金沢、長崎医学専門学校と改称 | |
1902(明治35年) | 杉浦六左衛門、六桜社(現コニカ)設立、印画紙、乾板をつくる | 第1回日英同盟締結 |
1903(明治36年) | 後藤風雲堂、ドイツヒルシュマン社製感応コイル方式X線装置を輸入し、高知市近藤虎治医院に納入した | |
1904(明治37年) | 芳賀栄次郎日露戦争の際陸軍にX線装置を携行させ、第四野戦病院で戦傷治療に使用した
リーダー(独)消化管造影のためのビスマス粥発明 |
日露戦争 |
■1907 - 1922年 / 明治40 - 大正11年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1907(明治40年) | ドミニチ管の発明(これによりラジウム治療が実用になった) | 第3次日韓協約・第1次日露協約 |
1909(明治42年) | 島津製作所、医療用X線装置(わが国最初)を完成し、国府台陸軍衛戌病院に納入 | |
1910(明治43年) | バッケムら消化管造影剤として硫酸バリウムを紹介 | 第2次日露協約 |
1913(大正2年) | ソデイ(英)アイソトープの概念を堤出
ヘベシー(ハンガリー)Rlトレーサー法を開発 クーリッジ(米)熱陰極型高真空X線管(クーリッジ管)を発明 レントゲン研究会設立(東京) ドイツ放射線医学会、放射線防護規則を発表 |
桂内閣総辞職 |
1914(大正3年) | 藤浪剛一他『れんとげん学』南山堂 | 第1次世界大戦始まる |
1915(大正4年) | 東京電気株式会社、ギバX線ガス管球ABC型を製造発売(X線管球国産第1号) | 治安警察法公布 |
1918(大正7年) | イーストマンコダック社両面乳剤、硝酸セルロースベースのX線フィルムを発売
パターソン社両面乳剤フィルム用2重増感紙を売出す |
シベリア出兵宣言・原敬内閣 |
1919(大正8年) | ラザフォード(英)原子核の人工変換確認
六桜社、日本初のX線ペーパー発売 |
第1次世界大戦終る
ベルサイユ条約調印 |
1920(大正9年) | ザイツら(独)X線1回大量照射(Erlangen法)による子宮がんの治療結果を発表
この頃までにスエーデンの子宮癌治療、ラジウムが手術を圧倒する |
国際連盟に正式加入 |
1921(大正10年) | ボカージュ(仏)断層撮影法の特許出願ボカージュ(仏)断層撮影法の特許出願 | 日英米仏四カ国条約調印 |
1922(大正11年) | シカール(仏)リビオドールによるミエログラフィ発表
シカール(仏)リビオドールによるミエログラフィ発表 |
ワシントン海軍軍縮条約・中国に関する九カ国条約調印 |
■1923 - 1935年 / 大正12 - 昭和10年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1923(大正12年) | 肥田七郎、X線障害(慢性骨髄機能不全)で死亡
デユアン(独)電離箱型線量計を実用化 クーリッジ(米)250kVpの治療専用X線管を発表 |
関東大震災(死者9万人余) |
1924(大正13年) | イーストマンコダック社、不燃フィルム(酢酸セルロースベース)を発売 | |
1926(大正15年) | マラー(米)X線による突然変異証明 | 大正天皇崩御 |
1927(昭和2年) | モニス(ポルトガル)脳動脈造影法発表 | 金融恐慌おこる |
1928(昭和3年) | 国際X線およびラジウム防護委員会ICXRP第1回勧告を発表
X線量の単位としてr(レントゲン)採用(1962年に表記法がrから大文字のRへ変えられる) |
張作霖事件 |
1929(昭和4年) | ブーワース(オランダ)世界最初の実用的回転陽極X線管ロータリックスを製作
ビンツら(独、米)最初の経静脈性腎孟造影剤、セレクタン・ノイトラルを発表 |
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1930(昭和5年) | 島津製作所レントゲン自動車を製造 | |
1931(昭和6年) | ヴァン・デ・グラーフ超高圧発生装置製作 | 満州事変勃発 |
1932(昭和7年) | クター(仏)遷延分割照射法による卓越した頭頸部癌X線治療成績を発表
ローレンスEら初のサイクロトロン完成 |
五・一五事件
満州国承認、日満議定書調印 |
1933(昭和8年) | サクラレントゲンフィルム(両面乳剤、硝酸セルロースベース)発売 | 日本、国際連盟から脱退 |
1934(昭和9年) | ジョリオ・キューリー夫妻、人工放射性同位元素発見
グロスマン(独)、断層撮影装置成功市販 パターソン(英)、ラジウム線量表発表 ICRP耐容線量の概念をとりいれる ボカージュ(仏)断層撮影法の特許出願 |
満州国帝政実施 |
1935(昭和10年) | アブリュ(ブラジル)、古賀良彦(日)、間接X線法による肺結核の検診を始める
ヘベシーら、32Pを用いてトレーサー実験 |
■1936 - 1950年 / 昭和11 - 昭和25年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1936(昭和11年) | ローレンスE(米)、速中性子治療示唆
ローレンスJ(米)、24Na、32Pによる白血病治療開始 |
2・26事件、東京に戒厳令 |
1937(昭和12年) | 理研のサイクロトロン稼動
内務省、診療用X線装置取締規則。'逓信省、電気工作物規程の改正 カステラノス(キューバ)、経静脈性心造影に成功 ファー(インドシナ)、経皮的胆管造影法発表 工一レンブーフ第1版発行(X線障害犠牲者名簿) |
廬溝橋事件・日独伊防共協定成立・南京虐殺事件 |
1938(昭和13年) | 厚生省設置、国民健康保険法公布、施行 | 国家総動員法公布 |
1941(昭和16年) | リビングッド(米)60Co発見
ブワー(オランダ)間接X線写真用オデルカ・カメラ発表 放射性ヨウ素によるバセドー病治療開始(初めは130I、後に131Iが用いられた) |
太平洋戦争始まる、国民学校令公布 |
1942(昭和17年) | 日本放射線技術学会創立
フェルミら最初の原子炉建設 |
シンガポール占領・ミッドウェイ海戦 |
1943(昭和18年) | 乳がん治療のマックワーター法発表(英) | ガダルカナル島撤退・学徒動員 |
1944(昭和19年) | ストランドキスト(スウェーデン)『分割照射におけるX線の効果と照射期間』発表 | 神風特別攻撃隊編成 |
1945(昭和20年) | 広島・長崎に原爆投下、太平洋戦争終る | |
1946(昭和21年) | 米、機密を解いて原子炉製Rlの出荷開始
塚本、喉頭癌のラジウム治療を始める パーセルら(米)ブロッホら(米)核磁気共鳴現象を報告 |
天皇の人間宣言・極東国際軍事裁判開廷 |
1947(昭和22年) | ムーア(米)Rlによる脳腫瘍の位置決定
リビー(米)14C年代測定法発表 |
日本国憲法施行 |
1948(昭和23年) | バックレス(仏)、乳がんのX線単独療法の成果を発表
ボーデ(独)ベータトロンによる皮膚がんの電子線治療を始める |
極東国際軍事裁判判決 |
1950(昭和25年) | 日本、原子炉製Rlを初輸入(125Sb)。131Iは1951年2月初輸入、初治療は翌1952年
サクラXレイフィルムタイプY(酢酸セルロースベース)発売 フロイディッヒら(英)192Ir遠隔大量照射装置を完成 |
■1951 - 1960年 / 昭和26 - 昭和35年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1951(昭和26年) | 国際放射線防護委員会ICRP発足
「診療エックス線技師法」制定 日本放射性同位元素協会創立 血管造影剤70%ヨードピラセット発売 ジョーンズら(加)テレコバルトを完成 ファー(米)熱中性子捕獲療法を開始 カッセン(米)シンチスキャナを発明 モーガン(米)イメージオルシコンによるX線テレビ完成 |
サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約調印 |
1952(昭和27年) | フィリップス社(蘭)ウエスティングハウス社(米)、イメージインテンシファイアを発売
トバイアス(米)重陽子α粒子治療開始 |
破壊活動防止法公布 |
1953(昭和28年) | ハマースミス病院(英)ライナックによるX線治療(8MeV)を開始
東芝、テレコバルト製造 ICRU、吸収線量の単位rad採用 セルジンガー(スウェーデン)動脈造影で針をカテーテルに取り替える新しい方法を発表 プラウエル(米)脳スキャン発表 白壁らこの頃胃の二重造影を始める |
町村合併促進法公布・奄美諸島復帰の日米協定調印 |
1954(昭和29年) | スチレット(米)198Au肝スキャン成功 | 米、ビキニで水爆実験。第5福竜丸事件 |
1955(昭和30年) | クニッピング(独)133Xe局所肺機能検査
ブルーサ(米)131I摂取率測定の標準化 ハマースミス病院(英)医用サイクロトン設置 東芝、イメージインテンシファイア製造 |
日米原子力協定調印・原子力基本法公布 |
1956(昭和31年) | コダック社ローラ式自動現像機発売
アンガー(米)シンチカメラを発明 コルダーホール型原子力発電成功(英)) |
原子力三法公布 |
1957(昭和32年) | 梅垣、有水、可変絞り運動照射法を発表 | |
1958(昭和33年) | 島津、シンチスキャナー第1号機を制作 | |
1959(昭和34年) | ヤローら(米)、ラジオイムノアッセイ法RIAを発明、血中インシュリン測定に利用
放射線障害の防止に関する法律施行令(政令)、同施行規則(総理府令)実施 |
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1960(昭和35年) | 胃集団検診用車載型間接X線装置開発(日立)、東北大学山形内科、住民検診に用いる
日本無線、超音波診断装置発売 島津、東芝、第19回日本医学放射線学会でX線テレビによる遠隔診断の実演 島津、15MeVベータトロン九大へ設置 |
新日米安保条約・行政協定調印カラーテレビ本放送開始 |
■1961 - 1972年 / 昭和36 - 昭和47年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1961(昭和36年) | 核医学研究会(後の日本核医学会)発足 | |
1962(昭和37年) | ソーンズ(米)選択的冠状動脈造影発表
国立がんセンター発足 東海村に第1号原子炉 |
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1963(昭和38年) | サクラX線自動現像機7分半処理、発売
ライナック導入(癌研、国立がんセンター、放医研。治療開始はいずれも翌1964) 国立がんセンターなどで高エネルギーのベータトロン治療始まる |
東海村で原子力発電開始 |
1964(昭和39年) | ドッター(米)、経カテーテル血管開通術を発表(IVRの始まり)
ハーバー(米)放射性医薬品としての99mTcの有用性を紹介 梅垣ら膵臓に対する開創照射を始める |
東京オリンピック |
1965(昭和40年) | 田崎ら、TAO式アフターローディングアプリケーターを考案
X線フィルム、ポリエステルベースに |
朝永振一郎ノーベル物理学賞受賞 |
1966(昭和41年) | 若林勝、入江五朗、島津製作所、ラルストロンを発表 | 松代群発地震 |
1967(昭和42年) | 日本放射線機器工業会発足
ジュドキンス(米)、経皮経大腿的冠状動脈造影を始める 小西六写真工業、乳房撮影用さくらX線フィルムタイプMRを発売 大井ら、経内視鏡逆行性胆管膵管造影(ERCP)の発表 |
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1968(昭和43年) | インターン制度廃止
サクラX線自動現像機90秒処理、発売 札幌医大和田教授、心臓移植手術 |
川端康成ノーベル文学賞受賞決定 |
1969(昭和44年) | エドワードら(米)、67Gaによる悪性腫瘍シンチグラムを発表
梅垣洋一郎、稲邑清也、コンピュータによる放射線治療計画用システムを発表 |
安田講堂事件など大学紛争拡大 |
1972(昭和47年) | ハウンズフィールド(英)、X線CTを発明
アルメン(ノルウェー)、非イオン性水溶性造影剤メトリザマイドを設計 |
沖縄返還 |
■1973 - 1982年 / 昭和48 - 昭和57年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1973(昭和48年) | 各県1医科大学構想スタート
ローターバー(米)マンスフィールド(英) 核磁気共鳴画像(MRl)に傾斜磁場を導入 |
・日本円、変動相場制に移行 |
1974(昭和49年) | 東芝、胃集検用X線テレビ間接撮影装置(線量ミラーカメラの1/30)を製作
遠藤ら、先股脱のX線写真自動診断を発表 |
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1975(昭和50年) | 東京女子医大、EMl社製頭部用X線CT設置
名古屋保健衛生大学、国産(日立メディコ)の頭部用X線CT1号機を設置 GE社(米)、第三世代X線CT(ファンビーム方式5秒スキャン)を発表 放射線医学総合研究所(放医研)で医学専用サイクロトロン稼働 (同年速中性子線治療はじまる、翌年初11C、13N、150、18F等の臨床利用はじまる) |
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1976(昭和51年) | 千葉大、世界最初の電子走査型X線CT(日本電子)が稼動 | |
1977(昭和52年) | 飯沼、舘野、梅垣、渡辺、電子ビーム走査式X線管を用いる超高速CTの構想を発表
国立循環器病センター設立 ICRP放射線防護に確率的影響という概念を導入 |
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1978(昭和53年) | クルガー(米)、デジタルサブトラクションアンギオグラフィDSA発表
放医研、陽子線治療はじめる |
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1979(昭和54年) | 放医研、PET臨床利用はじめる | 第2次オイルショック |
1980(昭和55年) | 放医研、FDG/PET臨床利用はじめる
滑川ら、リアルタイム2次元血流映像法発表 駒込病院(松田)、コンピュータ制御原体照射装置完成 |
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1981(昭和56年) | 核磁気共鳴医学研究会(後に学会)発足 国立がんセンターでマイクロトロン稼動
富士写真フィルム、CRシステムを発表 |
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1982(昭和57年) | 中津川市民病院、日本初のMRl装置導入
ドワイヤー(米)、PACS発表 日立全身用ポジトロンCTを開発 ボイド(米)、電子走査型X線管を使用した超高速CT(IMATRON)を完成 森一生、らせんCTの特許申請 |
■1983 - 1999年 / 昭和58 - 平成11年
西暦(元号) | 放射線関連 | 世界のおもな出来事 |
1983(昭和58年) | 非イオン性低浸透圧性造影剤、導入
ジョンズ・ホプキンス大学、神経受容体(ドーパミンD2受容体)のイメージングはじめる |
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1984(昭和59年) | 超電導MRl装置導入
放医研、神経受容体(ベンゾジアゼピン受容体)のイメージングはじまる |
健保法改正(本人9割給付) |
1986(昭和61年) | チェルノブイリ原発事故 | チェルノブイリ原発事故 |
1988(昭和63年) | 日本放射線腫瘍学会、発足 | |
1989(平成元年) | 消費税導入 | |
1990(平成2年) | 東芝メディカル、日立メディコ、ヘリカルスキャン対応X線CTを発売 | |
1991(平成3年) | コンピュータ支援画像診断学会、発足
DICOM規格が制定され、北米放射線学会で接続試験が行われる |
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1992(平成4年) | 3次元CT画像構築、臨床利用
青森県六ヶ所村でウラン濃縮施設運転開始 特定機能病院と療養型病床群制度化 |
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1993(平成5年) | 都予防医学協会、低線量CTによる肺がん検診はじめる | |
1994(平成6年) | 胸部CT検診研究会、発足
放医研、重粒子線治療はじめる |
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1995(平成7年) | (財)医療機能評価機構発足
PL法施行 |
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1997(平成9年) | 臓器移植法成立 | |
1999(平成11年) | 各病院でマルチスライスCT、稼動 |
2017/03/13